求 上外 日语综合教程5 6 的单词表 文本

2025-12-16 05:45:47
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回答1:

发了 接受吧 楼主一生平安

回答2:

我先给你个样本,你看是不是,要是是的话,吧分和追加的分给我,我立马给你发邮箱,因为以前给人发邮箱,后都不给分了。我要是不给你发邮箱,你在网上骂我没意见。放心只定给你发的。
样本:

日语综合教程第五册第一课
海の中に母がいる

山好きの血が父方から流れているとすると、海好きは间违いなく母から伝わっている。终戦间もなく、不忍池のほとりを通りかかると、池端に、ははがしゃがみこんで池の面をじっと见ている。声をかけると、母は照れたような颜で立ち上げり「ちょっと海がみたくなって」と言って笑った。
当时、东大のそばに住んでいたので、买い物のついでに不忍池で休んでいたのだろうが、その时の母の言叶が妙に忘れられない。小学六年の夏、母の故郷の鹿児岛の辺鄙な渔村で一月暮らしたことがある。母の父は背の高い、强い人で、そこでずっと医者をしていた。家から五十メートルほどで海に出る。桜岛や开闻岳の见える美しい浜辺だった。母が海を见たいと言ったのは、その故郷の浜辺のことを考えていたのかもしれない。今なら二时间もかからない鹿児岛は、その顷は夜行や连络船で二日かかる远い国だった。望郷の思いに駆けられても当然だったような気がする。
海好きといっても、心ゆくまで海と亲しんだのはその夏だけで、あとは学校から海水浴にゆく程度だった。おそらく海と切り离された状态がかえって海への憧れを掻き立てたのだろう。大学を出る年、なんとしても海に関系する职业につきたいと重い、日本邮船に入社できないか闻きに行った。対応に出た人事课长は「うちも、ほかの会社と同じですよ。文学出身では、どうもね」と気の毒がってくれた。船会社だから、全员が船にのれるものと勘违いしていたわけだ。
それでも、船に乗って、海を思いのたけ味わいたいと言う気持ちは、いっこうに衰えなかった。幸いフランスに行くことになり、留学生は船に乗るように、という指示があった。マルセイユまで三十三日の船旅――考えただけでも嬉しさで気が远くなりそうだった。しかし仲间の留学生たちは、なんでそんな无駄なたびをさせるのか、と不満だった。
私は一人海の喜びを満吃するため、四等船室を选んだ。ここは季节労働者用の船室で、留学生が近寄らないばかりでなく、船底なので、海に近く、丸窓をふさぎにくる。ベッドは鉄パイプの二段棚にカンバスを张っただ。饰りなど何もなく、牢狱さながらだ。
しかし文明の居心地よさはつねに、大自然との直接の接触を遮断する。例えば灼热の红海では、船底は四十度を越え、甲板でも燃える暑さだ。勿论一、二等船室は优雅に冷房されているが、それでは、コンラッドの描くこの热帯脳见という荒々しい野獣のようなものの実体にふれることはできない。限りなく强烈な、素肌ならすぐに火伤を起こす太阳の下でしか、红海の目くるめく壮大さは味わえないのである。
私は朝、甲板で激しい海の风に吹かれながら饮む大カップのコーヒーに満足した。中国人、マレー人、インドネシア人、ウエトナム人たちの喧噪のなかで、甲板に寝そべってへミングウエイを読むのが、堪らなく嬉しかった。舳先に立って风を受けていると、まるで大航海时代の冒険者になったような気がした。
东シナ海の冷酷な青い波、くらげの浮かぶボルネオ海の白绿色のねっとりした波、インド洋の壮丽な落日の下で黄金色に砕けていた波、地中海の凄みを帯びた青黒い波――いずれも刻々に私の魂を夺ってやまなかった。朝から晩まで私は舷侧からただ海の青さ、広さに见入っていた。
人间は爱する物のは、ひたすら爱する物を失ったからではないだろうか。この大航海の间、私は自然の素晴らしさと同时に人生の过し方も学んでいたようなきがする。
あれからもう三十年。今も海が恋しい时、懐かしい三好达治の诗を読む。
「海よ、仆らの使ふ文字では、お前の中に母がいる。そして母よ、フランス人の言叶では、あなたの中に海が在る。」〔フランス语の母はmere、海はmer〕
(『生きて爱するために』中央公论社より)
大海中有妈妈

如果说喜欢大山是继承了父亲的血统,那么爱好大海一定是从母亲那里传承下来的。那是战争结束后不久,恰好经过不忍池附近时,妈妈会在池塘边深深蹲下,两眼死死地盯着水面。假如我喊她,她的脸上似乎显得很难为情,站了起来,笑着说:“想看一会儿海呀!”
当时,因为住在东大附近,去买东西时就顺便在不忍池休息一下,不可思议的是,我一直没有忘记那时妈妈说的话。小学六年级的暑假,我曾去母亲的故乡,鹿儿岛上一个边远的渔村住了一个月。外公个子高高的,非常强壮,一直在那里行医。距家大约五十米处便是大海,从那景色秀丽的海滨,看得见樱岛和开闻火山。母亲说想看大海,我想也许就是那故乡的海滨吧。如是在今天,去鹿儿岛用不了两个小时,而在那时,那里是一个遥远的地方,需要坐夜间火车和联运船才能到。在思乡之情的驱使下,似乎妈妈那种举动是理所当然的。